マンドリンってどんな楽器?

マンドリン(英: Mandolin、独・仏: Mandoline、伊: Mandolino)はイタリア発祥の撥弦楽器です。
現在日本でもっとも一般的にみられるボウルバックのマンドリンは、イタリアで17世紀中頃に登場し発展したものでナポリ型マンドリンと呼ばれます。

主にピックを使って演奏しますが、19世紀末より特にイタリア及びその文化が伝承された日本ではトレモロ奏法が多用されています。これはイタリア文化の中で、バイオリンのように歌唱的なフレーズを演奏することを求められたためと推測されます。ただし、トレモロの多用はイタリアと、その影響が強い日本、つまりはナポリ型マンドリン独特の文化であり、他国で発達したマンドリンや音楽文化では、ピッキング奏法が主体です。

 て様々です。

チューニング

G-D-A-E(副弦も同様)の5度チューニング。日本ではA=442Hzで合わせることが一般的です。
代表的なチューニングの方法を2パターン記載しますが、一貫している注意点は「主弦と副弦は、同時に弾き、耳で合わせる」方法のみである、ということです。

・ チューナーを使う
チューナーを使い、各コースの主弦をG-D-A-E、A=442Hzで合わせる。その後、主弦と副弦を合わせる。
・ ハーモニクスを使って合わせる
7フレットのハーモニクスと、1コース上の弦の12フレットのハーモニクスを合わせると、5度調弦となります。これを使い、音叉で2弦をA(=442Hz)に合わせてから、各コースを合わせていきます。その後、主弦と副弦を合わせる。
その他、7フレットを押さえて合わせる方法や、単純に相対音感で5度に合わせる方法も、上記2パターンには劣りますが一般的です。

 

イタリアにおけるマンドリンの歴史概要(第二次世界大戦前後まで)

マンドリンの直接の起源はリュートから派生した楽器「マンドーラ」といわれています。初期のマンドリンはいわゆるバロックマンドリンで、ヴィヴァルディが書いたマンドリン協奏曲はこの型のためのものです。バロックマンドリンは当時のギターと同様にガット弦(羊の腸から作ったもの)を張り、鳩の羽(根元の骨を弦に当てる)で演奏します。なお、当時のマンドリンは弦の数や形状が定まっておらず、様々な形、地方によって違う調弦のものが残っています。
近代マンドリンの歴史は19世紀のパクスワーレ・ヴィナッチャの楽器改良に始まります。ヴィナッチャは4コースのナポリ型マンドリンの改良に取り組み、一定の成果を収めました。これ以後ナポリ型が主流となります。19~20世紀にかけてウンベルト1世妃マルゲリータがマンドリンを愛好し、マンドリン演奏はイタリア中で大流行となりました。当時はバイオリニストが生活のためにマンドリンの教師活動に転向するほど。有名な「チャルダッシュ」を作曲したビットリオ・モンティもその中の一人で、この曲もマンドリンのためにと記譜されたものと、バイオリンのために記譜されたものが残っています。
この頃、カルロ・ムニエル、ラファエレ・カラーチェ1世、シルヴィオ・ラニエリらが奏者・作曲家として活躍しました。中でもラファエレ・カラーチェは、マンドリンの製作家としても著名です。しかしイタリアが第二次世界大戦で敗北し王政が廃止されると、イタリアでのマンドリン音楽は一時的に衰退しました。
なお、ここで名前が上がったヴィナッチャ(パスクワ‐レの息子であるフラテリやガエタノ)とラファエレ・カラーチェ(及び父のニコラ)に加え、ルイジ・エンベルガーが製作した楽器は、「三大銘器」と呼ばれます。製作年は1880年代から1930年代までのものがあり、価値は状態や機種によっ

日本おけるマンドリンの歴史概要(第二次世界大戦前後まで)

1901年に比留間賢八が留学先のイタリアからマンドリンを持って帰国し、指導者となったことが始まりです。比留間の弟子には萩原朔太郎(詩人、陶芸家)らがいました。また娘の比留間きぬ子もマンドリン奏者で、数多くの奏者を育てました。

日本で本格的にマンドリンが流行するきっかけとなったのは1924年のラファエレ・カラーチェの来日です。彼は昭和天皇のために演奏するなど、各地で演奏会を開いています。彼の来日に影響を受けたマンドリン奏者の中に、後に作曲家として活躍する鈴木静一・中野二郎(関西の名門である同志社大学マンドリンクラブ所属、後に指導。クラシックギターの奏者でもある。また、彼が所持していたマンドリンやギターの楽譜は膨大であり、現在では同志社大学図書館に中野譜庫として所蔵)・服部正がいます。
なにより、その流れの中で青年期を過ごした古賀政男(流行歌王とも言われた。クラシックから美空ひばりまで、5000曲以上の楽曲を提供。代表曲は「丘を越えて」「影を慕いて」「東京ラプソディ」「悲しい酒」など)が、マンドリンとギターを愛好し楽曲に多用したことが、マンドリンの普及認知に繫がりました。

日本におけるマンドリンの現状

日本におけるマンドリンの愛好家のほとんどが、主な演奏形態としてマンドリンオーケストラに所属しています。マンドリンオーケストラは、マンドリン(1st、2nd)、マンドラテノール(ヴィオラより4度低い調弦)、マンドロンセロ(ヴィオロンチェロと同じ調弦)―――あとたまにマンドローネ、マンドリュート、まれにクァルティーノ―――という楽器と、クラシックギター、コントラバスによる編成が主です。楽曲や演奏会により、管楽器や打楽器が編成に組み込まれることもあります。

これは、ほとんどのマンドリン愛好者の楽器を始めたきっかけが中高大学のマンドリンクラブに所属することであった、ということに起因しているからで、マンドリンクラブのほとんどがマンドリンオーケストラの形態による演奏をおこなっていることによります。社会人となった愛好者が様々なマンドリンオーケストラ団体を設立、運営することも多く、東京都内だけで100以上、全国では1000以上の団体があります。

最後に…各国のマンドリン

今回の内容はナポリ型マンドリンに焦点をあて、起源であるイタリアと、日本におけるマンドリン文化の概要を説明しましたが、マンドリンは現在も様々な形状のものがあり、各国で独自の文化を形成しています。
・ フラットマンドリン
ギブソンがイタリアより輸入されたボールバックマンドリンを改造し、20世紀初頭に開発しました。アメリカでは現在このマンドリンが主流。2mm以上のベッコウなど、固いピックで演奏し、ブルーグラスやカントリー、ジャズ、ロックでギターやバイオリンに似た立ち位置で使用されることが多い。サウンドもそれに準ずるものが出せます。
デビッド・グリスマンが、マンドリンがメロディのインストアルバムでビルボード1位になったり、最近では「ニッケル・クリーク」というマンドリンとフィドルとアコースティックギターによる3ピースバンドがヒットしたりと、LMにもマンドリンが根付いています。

・ アイリッシュマンドリン
その名の通り、アイリッシュ音楽で使われるマンドリン。ブズーキなどもこれの派生系であると考えられており、形状はナポリ型マンドリンをフラットバックにしたようなもの。フィドルに近いフレーズを演奏することが多く、やはりピッキングが主。表板の形はナポリ型に非常に近く、サウンドも近い。使用するピックもやや薄いのみで、非常に近い物です。

・ バンドリン、バンドゥリア
バンドリンはマンドリンのポルトガル・スペイン語圏での呼称。ブラジル(ショーロ)、南米各地(フォルクローレ)、ポルトガル(ファド)など、ポルトガル・スペイン語圏の各地、様々なジャンルの音楽で演奏されています。これもフラットバックであるが、表板の形状もナポリ型マンドリンとかなり異なり、10弦のものも一般的。弦のテンションが非常に高く、これをあえて非常に薄いピックで演奏します。とくにジャズの影響を色濃く受けるショーロは、世界規模で人気があるジャンルで、ショーロという分野を開拓したジャコー・ド・バンドリン(和訳すればマンドリンのジャコーという芸名)や、最近ではアミルトン・ヂ・オランダ(パットメセニーばりのフュージョンも演奏する)などがいます。

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